らりるれろ

振り返り備忘録*考えている事や思った事などをつらつらと。

【猫の寝姿に開眼】したいな

火曜日ですねこんにちは。3回目の更新になります。まだ続いていますよ、なんとか。

 
【不完全、不安定の美学】
今週も沢山の人との関わりがありました。人と関わる上で先週は「居心地の良い人になりたいな」と思ったのですが、それって「不完全さを受け入れている余裕のある人」だなあと感じた一週間でした。
 
私はいつも頑張っていて憧れの存在で自信に溢れた人の、目標に向かって(まるで完全を目指して)走るかのような姿は「すごい」けれど、「素敵」だとは思えませんでした。それは自分もそんな完全に近い状態で接していないといけないというプレッシャーを感じて、窮屈で居心地が悪いと思ったからです。向上心を否定するわけではなく、あくまで【人との関わりにおいては不完全さは美学にもなる】という事です。自身の不完全さを受け入れている余裕感が相手の不完全さを受け入れている余裕感となり、居心地の良さに繋がるのでしょうか。余談ですが私は結婚するなら家でゆで卵の殻を向きながら小さな幸せを愛しそうに笑って「こたつがぬくくて出れないよ〜」とか言ってる人がいいです。それは置いておいて【男女限らずいつも上だけを見て頑張っている人は「すごい」けど「素敵」だとは思えない、不完全の美学】が在る様に思います。足るを知るではないですが、人との関わりの中では不完全さを受け入れて余裕のある人になる(ぶってみる)のが私がまず目指す”居心地の良い人”への一歩に感じたのでした。
 
 
【答えや正解が無い】
私は廃墟が好きです。それは過去のいろんな情報を記憶している物の魅力だけではなく、整っていないボロボロの状態に可能性を感じるからです。自然と想像力が豊かになり、まるで頭の中で廃墟を通したヒューマンストーリーが創られていく感覚(!)。もしかして不完全や不安定や不明確に美学を感じるのは、”完全”安定”明確”といった出来上がった状態がない=【答え、正解が見えていないが故に想像を発揮できるワクワク感】があるからかもしれないと思いました。
 
【ミスマッチの面白さ】
今週ワクワク感が高まった印象的な出来事としては、温泉で書道をしたことです。温泉をあがった所に書道スペースがあるなんて全く想定していませんでした。一歩一歩近づくと心が静かに踊り始め、躊躇う事無く筆を持ち、「挑戦」という字を書きました。温泉後に精神統一をして書道に真剣になる姿は非常にシュールだったことでしょう。ただこの時の私は想定外な温泉と書道のミスマッチ感に心からワクワクしていました。上の文を踏まえても【マッチする事は完全に近い状態であり、それならミスマッチは私にとって心地よい面白さを生み出すのかもしれない】という仮説が出来ました。2月は古墳の上で書道をする日を決めたので今から楽しみにしています。更に願望としては、廃墟の遊園地でB’zの「ウルトラソウル」の音楽に合わせて妖怪ウォッチの踊りを6人くらいで踊りたいです。一緒にミスマッチの面白さを体感したい人はいませんかね。
 
 
【自分なりの動機】
木曜日家に帰ると、住人は”超絶辛い”カレーを前にしてお手上げ状態でした。「一口食べてみ」という言葉に何故か挑戦欲が沸き、全部一気に食い尽くしました。(ちなみに言うと私は普段甘口もしくは中辛しか食べれません)不思議だったのは、辛いカレーに挑戦してやる!という気持ちではなく、実際食べている時は”目の前の事に妥協したくない”今日をやりきりたい”という気持ちにすり替わっていた事でした。食い尽くした後は舌の感覚がなくなったという事実しかありませんでしたが、私の中では「目の前の事に妥協しなかった」「今日をやりきった」という満足感がありました。きっと「辛いカレーを食べきったぜ(ドヤッ)」をしたいだけならば、絶対に食べきる事は出来なかった事でしょう。大げさではなく【自分と勝負する為の自分なりの動機】の効果の絶大さに感動しました。
 
 
【サイズにあった靴を作る】
実際に在った事柄は伏せるので超絶分かりにくい文章になりますが。団体活動において不本意な事が起きてその原因を探っていると根本は「そもそも自分が出来ていなかった」からだと気付きました。周りの人は自分のミラーだと改めて驚愕しました。私はやってみたい!という気持ちは長く続かない事がほとんどです。そのやってみたい!を持続させる為に過去の経験から、自分で一歩目の行動をおこすこと、最低限のコミットをすること、一緒に取り組む人に誠実でいる事が大切だと思っています。でもそれが出来ていたのかというとNOです。思う事と出来る事には大きな差がありました。そんな私の姿勢を見ていたら、今回の不本意な事が起きたのは必然的だと思い反省をしました。はい真面目なのキタ。
 
加えて私は一歩というのも雑な一歩しか踏み出さない癖がありますこれがまた。とりあえず出したよ?いいかね?って感じです。いやせめて靴を履いてから一歩踏み出して。サイズにあった靴を自分で作ったら自信もって大きな一歩を踏み出せる、だからまずは靴を作ろう。ということで、少しは予習といいますか計画といいますか準備といいますか、それをする自分に変わります。【自分のサイズに合った靴を作って一歩踏み出す】!
 
 
【前職での女子会】
キラキラ女子に囲まれたら心無しか女子力が(意識だけ)アップしただけでなく、なんだか仕事に真っすぐ(中毒)だった過去の私を少し覗いた気分になりました。【今の仕事にしっかりコミットしていない期間は、もしかして成長や葛藤や楽しさなど価値ある機会を沢山損失しているのかも(逃げているだげだぞ!)】だなんて思えてきました。兼ねてから言われてきたけれど働くにおいての環境や今の自分を見直す必要をやっと我がごとの様に感じてきました。同時に就活に対しての意識も変化を見せてきました。少しずつですが働きたくてうずうずする時間が増えました。少しずつですが社会に必要とされたいとか価値を生み出したいとか少しずつですが思ったりしてきました。そうでなければ私はこのままうんことなり雨となり山となり自然に還っていたことでしょう。この今の素直な感情に身を任せて徐々に(極端にしすぎず)働くに頭をシフトしていきたいと思います。
 
 
【ディスラップ】
月曜日に友人と音楽したいね!という話になり、バンドとかではなく何故か私たちは『ディスラップを歌ってYouTubeに投稿する』という方向性で話をトントン拍子で進め、なんと実際に土曜日にカラオケでレコーディング(!)を行いました。音源の出来は想像を絶するもので、私至上トップ10に入るくらいな黒歴史が出来上がり、腹を抱えて笑いまくりました。【結果はともあれどんな挑戦も実際にやってしまえば素晴らしいネタになる】事を強く感じました。それは面白いという意味でのネタだけでなく、実践家として話をするネタが出来たということです。「これをやりたい」と日々いろんな事を考えますが思い返せば実際にやった経験の方が圧倒的に少ないです。いろんな話題の中で【傍観者や批判家ではなく実践家として話すネタが出来た事は、結果はともあれ挑戦する事の醍醐味のひとつ】だと感じました。加えて「やりたい」と思ってから一週間の間に実際に形にするという所まで動けたのはエネルギッシュな友人がいたからです。恥ずかしさの先の清々しさを一緒に体験してくれて本当にありがとう!
 
【時止まり人】
 
久々に会ったり電話をした時、捉え方や考え方や言っている事が一切変わっていない人がいると固まっている石像をイメージしてしまい話が上の空になってしまいます。それが良い悪いではなく、ただ私は変化が好きなので何も面白くないなと感じてしまいます。そしてそれは総じて「主語があなたじゃない話」だと気付きました。あなたと話をしているのに、あなたに会いにきているのに、なぜ目の前にいるあなたの話をあなたはしないのだろう。あなたは主人公じゃないのだろうか、なぜ安堵した傍観者としての話ばかりするのだろうか、あなたは石像としてそこに満足して座り続けるのだろうか。嗚呼、時止まり人。
 
これは自分にも言える事だと思っています。私は新しいコミュニティに積極的にいきません。馴染めないし既存の居場所あるコミュニティにいた方が安堵するからです。同じ考え、捉え方をする人達ばかりのところにいると安堵出来るからです、まさに私は石像化した時止まり人。現状は自分自身の箱の大きさを知っていて、それの満たし方も知っている。【今足りないのはその箱を拡張する様な面白い展開が起きる出会いや挑戦】だと思いました。
 
 
【猫の寝姿に開眼】
なぜ?と本質をつく質問は非常に大切だと思っているのですがただその答えがごもっともらしいものではなかった時(自分の価値観から逸脱していたとき)私も相手も訝しげな顔をしてしまう時があると思います。なんだか【動き出す時にごもっともに聞こえる様な深いきっかけや意味がないといけないかのような風潮】に疑問を感じていたんです。
 
そんな時これまたヒッチハイクで日曜日に淡路島に行って、中浜稔猫美術館に入りました。そこで中浜稔さんのプロフィールをみて衝撃を受けました。『愛猫「タワシ」の寝姿に開眼「生きる意味」を問い続けようと決意』って、タワシの寝姿に開眼って・・・!中浜稔さんはそれ以降猫の絵を描いたり猫を通して自然と人間を考える会「にゃん会」を設立するなど我が道を極めてそれを仕事にされているそうです。本当に尊敬しました。今一番お会いしたい人です。
 
 
【内観の障害】
薄々お気づきの方もいるかもしれませんが私は内観が好きで一週間の間にいろんな事を感じて考えて見つめています。ただ余りにもその量が増えるとこうしてまとめていても頭の中はまとめきらないもので溢れて混沌としています。常にクリアにはなりません。だから瞑想をしたりしています。でも最近より混沌としてしまい目の乾燥が激しいので、それが直接的に関係があるかないかは置いておいて来週から【内観で得たものを生活に落とし込む事の振り返りに時間をあてたい】と思います。
 
 
【まとめ】
①人との関わりにおいては不完全さは美学にもなる
②男女限らずいつも上だけを見て頑張っている人は「すごい」けど「素敵」だとは思えない、不完全の美学
③答え、正解が見えていないが故に想像を発揮できるワクワク感
④マッチする事は完全に近い状態であり、それならまミスマッチは心地よい面白さを生み出すのかもしれない
⑤自分と勝負する為の自分なりの動機
⑥サイズに合った靴を作って大きな一歩踏み出す
⑦今の仕事にしっかりコミットしていない期間は、もしかして成長や葛藤や楽しさなど価値ある機会を沢山損失しているのかも(逃げているだげだぞ!)
⑧結果はともあれどんな挑戦も実際にやってしまえば素晴らしいネタになる
⑨傍観者や批判家ではなく実践家として話すネタが出来た事は、結果はともあれ挑戦する事の醍醐味のひとつ
⑩今足りないのはその箱を拡張する様な面白い展開が起きる出会いや挑戦
⑪動き出す時にごもっともに聞こえる様な深いきっかけや意味がないといけないかのような風潮
⑫内観で得たものを生活に落とし込む事の振り返りに時間をあてたい
 
 
今週のテストはやれることをやって挑みたいな。