らりるれろ

振り返り備忘録*考えている事や思った事などをつらつらと。

【言葉にしない方が純度が高い事がある】

テストという青春を満喫して楽しんでいます、こんばんは。
 
[目的をすり替えない]
先週は頭が混沌としていたので、内観をやめて”得た物を生活に落とし込む事の振り返りをしたい”とかなんちゃら言ってましたね、はい。結論からいうと全然出来ませんでした。抑えようとすると更に混沌としてきたのでとりあえずこれは続けます、イエッサ。
 
なぜ混沌としてきたのかというと、これは成長欲求を満たすための手段ではないからでした。ただの趣味。その趣味である内観や考える事を、生活に落とし込むといった成長に目的をすり替えてしまうのは不快でした。結果的にもっと息苦しくなり処理速度が遅れて余計に混沌としました。カオス。【趣味は趣味。目的をすり替えない】
 
 
[無理に言葉にすると純度が下がる]
先週は周りの人に話したくても全然言葉が出てこないほど嬉しい出来事がありました。「言葉にならない」って事象がリアルにあるのかと感動する程の喜びでした。”嬉しくて気が動転して何から話していいか分からない”のではなく、この得体の知れない感情を上手く表す術を知らなかったんです。【若干21歳にしてまだ知らない感情がある】のは希望に思いました。その後少し出せる言葉を使って友達に話した後は、想定外にも不快感が残りました。(友達は喜んで聞いてくれましたが)なんていうかその瞬間の喜びは言葉にできるものではなく、無理に言葉にした瞬間に一気にシャボン玉が消える様に価値が乏しくなってしまったようでした。【言葉にしない方が純度(濃度?)が高い事があるんだ】という事を知りました。これは刹那的な喜びだったのでしょうか。
 
[生きている実感]
非常に嬉しいと思う事があれば贅沢にも非常に悲しいと思う事にも見舞われました。家に着くと膝から出血していたそうで気付けば住人が手当をしてくれていました。大騒ぎしてわんわん泣いて「私は何をやっているのだろう」と思いながらも「生きている」を強く実感して満たされていました。【喜びも悲しみも怪我という痛みも「生きている」を実感出来て】温かい気持ちになります。住人にはいつも迷惑をかけています、5歳児でごめんなさい、いつも本当にありがとう。
 
 
[就活生になるよ]
無理矢理ではなく自然な流れでやっと就活に興味が出てきました。ブアーーとやる気が出てきました。今ははっきり答えられます、私は就活します。何事もそうですが、自分が納得する形でしっかりやったら大概の事は楽しいものです。だから私の場合【まずは納得する形(やり方)を見つける事が大切】なんだと勉強になりました。やっと自分が楽しめる納得する形を見つけたので、自分に正直に気ままに誠実に時には運任せに頑張りたいと思います。
 
 
[テスト習慣はお花畑]
「学校で学生をするって楽しい」
 
私は高校時代実はテスト週間が好きでした。なぜかというと、みんなで毎回「もう嫌だー!今回やばいよ!助け合おうよ〜」とか言って嘆いてる青春の1ページを創っている感が心地よかったからです。それは大学生になっても変わらずで、絶賛テスト週間で心地よいシアワセを噛み締めています。テスト週間の魅力は【普段意識出来ない事を強制的にやらざるを得なくなり、その結果新しい興味関心や喜びや趣味が発掘されること】です。こういう理由で毎回「学校で学生をするって楽しい」と実感するのですが、何故日頃から学生を謳歌(全う)出来ないのだろうかと不思議に思いました。
 
私は記憶力ないわりに勉強は好きだし、友達も一定数居て、学校で嫌な事や苦しい事は何一つなく家も近く通いやすいです。でもいつも「学生をするって楽しい」と思うのに、興味関心が他にいってしまって結局学生を全うせず、安定のテスト期間のみ学生らしいシアワセを噛み締めているのはなぜだろうか。ーそれはきっと高低差が少ないからではないかと思いました。(無いなら生み出すまでですが)現状普通に学校に通って知識をインプットして友人と昨日聞いた噂の話をするだけでは際立った刺激は得られません。私にとって【高低差が少ないと楽しさに欠ける】というのは普遍的なものであり、いかに高低差を生み出していくか、あるいはいかに無理にも行かないといけない仕組みを作るかが継続する為の鍵であると再確認したのでした。
 
 
[存在に地味にありがとう]
割と用事で東京に行くことが多く、行くといつもいろんな人の家に泊めてもらうなどお世話になるのですが、今週は珍しく東京在住の友人が関西に来ると知り、とっても嬉しい気持ちになりました。何でこんなに嬉しいのだろうと考えると、それは私もその人に何か価値を提供出来るからだと気付きました。なんだか純粋に【与えられるよりも与える喜びの方が嬉しい】んだと感じました。そしてそんな与えたいと思える相手がこの世の中に存在しているだけで十分幸せ者であり、おもてなし出来る喜びを無条件に感じさせてくれて、さんきゅー。
 
 
[素朴な打開策]
今取り組んでいる事、従事していることを書き出したら27個から23個に減っていました。そもそも何故こんなに多いかというと、片手で収まる数だけに取り組んでいると、コミット量のバランスがとれず苛々したりと精神的に不健全だったからです。その不健全さをみて周りは優しさ(常識)から「苛々するなら休みなよ」「頑張り過ぎだ」などと声をかけてくれましたが、休んでも一向に改善されず悩み暮れていたんですね。そこで逆転の発想をして「むしろ4倍に増やしたらどうなるんだ?」と思い一か八か4倍に増やしてみたらバランスがとれて健全な精神状態(のめり込み度)になったのでこんなにも取り組んでいる訳です、はい。これは【解決策は何通りもあって、必ずしもこうするのが良いだろうという一般論からは逸脱する事もあるんだ】という事を学んだ良い経験です。きっと世の中すぐに浮かんでしまうような解決策ではない所に、打開策があるんだろうなと素朴に思っています。
 
 
[理性と感情]
話を戻すと、とりあえず取り組んでいる事は27個から23個に減っていたわけですね。始まりがあれば終わりはくるし、沢山挑戦しても途中でポシャる事だってあり、むしろ大当たりの方が圧倒的に少ないけれど【沢山失敗する中で当たりを生み出す過程自体が楽しいんだなー】ってぷかぷかと考えていたわけです。ところが本日インターンの選考で【実際はハマらないように制限をかけているだけではないか】と指摘されてしまいました。はい、ごもっともです。あくまで私は理性と感情の結合点にいたいのだと思いました。社会性をもちつつ偏りたくないのです。でも内心【理性を保っている状態では何も劇的な産物は生まれないのではないか】というもやもやがあります。思考錯誤は来月に続きます。
 
 
[実体がない]
存在しないものに不安や恐怖を覚える事が日々0.2秒程あります。たとえば感情。もしかして「こう思われているのではないか」というのが典型例です。でも「殆ど全ては実態がないものなのだから、自分の都合の良いように捉えたらいいのではないか」と思えば0.2秒でその不安や恐怖を消し去る事が出来ます。思えば殆ど頭で考えている事って実態がない事です。最近ではむしろ目の前の全ての事が実態がないとすら思えてきています(やばいやつ)いやでも冗談抜きに、それくらい気楽に生きていたらいいと思うんです。【全て実態がないのではないか、だからこそ自分で描けるのではないか】くらいのポジティブさで自分の目にうつる世界の色を彩れるといいですよね。まさに魔法。
 
 
[スティーブジョブズに会っていない]
私はお金の管理がへたくそでして(!)MacBookをネットで購入し翌朝届いて思わず「ボタン1つで無料で買えたよ」と言ったんですね。するとその発言の根底にあるものとして「スティーブジョブズに会っていないからだ。彼がどんな想いでこれを作って売っているのか知らないからだ」と言われてしまいました。いやごもっともです。ネットでボタン1つで買える様になった時代。その物の有難さや価値が”購入した後”に実感出来る様になり、買う瞬間の感動は減ってしまったかもしれません。利便性の弊害なのでしょうか。事実ネットでの購入は”ボタン1つで無料で買えた”という軽率な発言をしてしまうように(私の場合基本カード払いなので余計に購入実感はなく)その物の対価を有難く払おうという意志が芽生えにくいのですが、もしその物を作った人の想いが可視化されればもっと人の心が動いて、物の対価をしっかり払おうという購入の実感が芽生えるのかもしれません。今後は【利便性を超えて想いなどの人間的な部分が市場を占める時代がくる】かもしれないなんて考えています。精神世界マーケットでしょうか。まあなんてファンタスティックな。
 
 
【まとめ】
1、趣味は趣味。目的をすり替えない
2、若干21歳にしてまだ知らない感情がある
3、言葉にしない方が純度(濃度?)が高い事がある
4、喜びも悲しみも怪我という痛みも「生きている」を実感出来る行事
5、まずは納得する形(やり方)を見つける事が大切
6、普段意識出来ない事を強制的にやらざるを得なくなれば、新しい興味関心や喜びや趣味が発掘される
7、与えられるよりも与える喜びの方が嬉しい
8、解決策は何通りもあって、必ずしもこうするのが良いだろうという一般論からは逸脱する事もある
9、沢山失敗する中で当たりを生み出す過程自体が楽しい
10、実際はハマらないように制限をかけているだけではないか
11、理性を保っている状態では何も劇的な産物は生まれないのではないか
12、全て実態がない、だからこそ自分で描ける
13、利便性を超えて想いなどの人間的な部分が市場を占める時代がくる
 
 
今日だって、例外なく「テスト週間を楽しむ学生という青春の1ページ」になっているのかね、おやすみ。