らりるれろ

振り返り備忘録*考えている事や思った事などをつらつらと。

【新しい角度の追加】

こんばんは。こうしてブログで振り返りをするのも5週目に突入しました。頭に変な違和感をもってから3週目に至ります。そうです「混沌」の極みにきています。混沌しすぎてそろそろ爆発するのではないかと不安を抱きつつ、いやこれは思考が新たな転換期を迎える前の暗示だと光が見えてきた一週間でした。

 
[純度が高いまま文字へおこす事は不可能]
日曜日に、夢カレッジというイベントでお話をさせいただく機会がありまして、月曜日から私は何を話そうかと悶々と考えて文字におこそうとしておりました。今頑張っている事やその理由、そして将来の夢。抽象度の高い話は、対話の中ではある程度ごまかせても講演では伝わりにくくなってしまうので(結果的にごまかした事は置いておいて)いかにして伝えようかと悩みました。なんだか伝わりやすい様に抽象度を下げて文字におこそうとすればするほど、どうしても嘘が混ざってしまうような感覚があり苦しくなっていきました。思うにいろんな想いは一瞬一瞬の細かい感情で出来ていて、まるで純度が高い宝石の固まりの様で、無理に言葉におこすと表しきれずちっぽけな塊になってしまうように感じました。ただの塊に。分かった事は【純度が高いまま”文字へおこす”事は不可能】だと言う事でした。
 
私は昨年5月に寝たきりになった事を機に、心の声を聞く事を意識する様になりました。するとその時々の想いや感情をそのまま言葉にする事が難しくなり、言葉にできないので瞬間的にふぁーー!!ぷぉーー!!といった奇声を発する事が増えました。真面目に話すと【なぜ想いや感情をそのまま言葉にする事が難しくなったのかというと、湧き出る(受け取る)感情の純度が高くなったからではないか】と感じています。純度が高いってなんだよ!って話ですが、非常に細かい感情の集合体みたいなものでしょうか。ここらへんは難しいですね、だって言葉にできないからこそ純度が高いのだもの。
 
とりあえず全神経が研ぎすまされる様な空間でface to faceの会話が出来れば、純度が高いまま伝える事は可能なのではないかと思っています。「全神経が研ぎすまされる様な空間」作りたい・・・!
 
[マッチ棒のアート]
テスト勉強を少し頑張りました。途中から文字がマッチ棒のアートに見えてきて、踊るマッチ棒を見つめて3時間。何も覚えられないという驚異的な記憶力の無さ(!)に愕然し絶望を感じました。楽しいのスイッチがズレたところで入ってしまったら終わりでしたね、うん。そしてただ無心でマッチ棒と向き合う時間は新しい感情や感覚が全然生まれずどんどん腐っていく様でした。変化が心地よい事がよくわかりました。だってもし変化しなければ【新しい感情や感覚が生まれず、古い感情や古い感覚に潰されて侵されて腐っていく】からなのでしょう。心身ともに。
 
[大根専用の土壌]
今まで自己分析みたいなイベントにいったり、むしろイベントを作ったりしていましたが、私は全然分かりやすく私の事を伝えられる様になっていないな!という現実に直面しました。もうそろそろ笑ってごまかせません。愛嬌を振りまいたって無駄です。論理的に?そんな力があったら悩みません。「伝えたいことは感覚的になんとなく分かるんだけどもっと言語に出来ない?」「きっと少数派だからこそ上手く伝えられないと、理解されなくて終わるだろうね」「難しいね変だね」みたいなあの反応です。楽しんでもらってる感じはするのですが、いざ一緒に働くとなると土壌的に難しいかもなと遠回しに言われるアレです。興味はあるんだけど、土壌がな、大根専用なんだよ、みたいなアレです。うぬ。でも問題はそこにあるわけではなく、きっと恐らく【育ててくださいと頭を下げない私の雰囲気があるから】なのでしょう。「土壌耕させてくださいよスコップ持っていきますから!」みたいな威勢が無いからでしょう、そうです以前は。
 
 
最近は梅田で「1時間空きが出来た!」と言うと、その1時間自己分析の為に急遽かけつけてくれる先輩や、素敵な夢をもつ人事さんや沢山の人との出会いで、急ピッチで自己分析が進み、方向性が定まって参りました。そうなれば早いものです、頭下げてでも学びたい事がぐもおおおおおおおおって目の前に広がっていて、もし今「大根専用の土壌だからジャガイモまじ勘弁」と言われたとしても「遺伝子組み換えるので3分待ってください」と言えるでしょう。いやむしろ栄養含んだ水になります精神です。とにかく改めて思うのは家で閉鎖的にごもごもと考えたり悩んだり自分を見つめたってしゃーないという事です。どうしようか考えて悩んでしまうくらいなら外に出て話聞いてヘタクソでも話して伝えて動くことがベストだと思いました。【考えてしまうと悩みになる、動いてしまえば希望になる】
 
 
[あなたは私だ]
一緒に居て心地悪いなと思う人からは何を(誤認して?)受け取ってしまっているのだろう。自分は何にそんなに拒否反応を示しているんだろうか、これは幼稚園の時から永遠のテーマです。先生や友達のお母さんとの居心地の悪さを感じてる人って結構いると思います。あれってなんなんだ。
 
居心地段階は3パターンあるのではないかと思っています。①から③にかけて上質になっていきます。
①プレッシャーをかけてくる人(承認欲求など願望を他者に求めてる人) 
②プレッシャーをかけてこない人
③選択の自由を与えてくれる人 
 
①の人は出会った瞬間に容赦ない「くれ!」という圧力があります。この人と話す会話も、行動も、私の存在さえも全て”相手の欲”を満たすためのものと化します。なんてつまらないんだと一気に冷めてしまうのと同時に、その欲を上手に満たせてあげられなかった時には得体の知れない申し訳なさ、自己嫌悪に陥ったりします。だから心地が悪いです。私が相手のプレッシャーと自分を切り離さないといけないやつですね。②の人はフラットな状態で話して遊んで流れに身を任せる様な、心地よさがあります。③の人は最初から「どっちでもいいよ。あなたが選んだら?」という半ば無関心の様な選択の自由をくれてます。ただそれは無関心ではなく、【根底では”繋がっている感”があり、受け入れているかのような温度を感じます。言葉で表すなら「あなたは私だ」と伝えてくれている様】です。そうです自然も宇宙も人間も全てひとつ。
 
[プラマイゼロ]
先週は理性と感情というところで、「理性を保っている状態では何も劇的な産物は生まれないのではないか」と考えていました。思えば中庸やバランスをとる事にエネルギーを使っていた時は、結局何も生み出さなかったなと。迷惑をかける事は減ってもプラスもなかったなと。プラマイゼロで進まないのだなと。いよいよ【中庸やバランスを捨ててエネルギーをどこに使うか絞っていく】時期が本格的に来ているようです。
 
 
[新しい角度の追加]
今週は多夫多妻に共感してくれる人がチラホラいて非常に嬉しかったりしました。今までこれについて話をしても、気味悪い提言だと思われたり(いや今の常識をふまえたらごもっとも)常識だからこそ考える機会もなく、肯定するにも否定するにも然るべき持論を持っていない人が多かった様に思います。思えばいろんな物事について私はこう思っている、こう考えている、あなたは?とフラットに話して【新しい価値観(=角度)の交換が出来る場】って少ないなと感じました。少ないのではなく私が求めていなかったのかもしれません。幸いにも今私は就活生です。これを利用して(!)新しい角度の考えを投げてくれる様な人のところにスイスイと出向こうと思います。きっとそういう人は私の生活とはかけ離れたところにいたり、想像も出来ない仕事をしている事でしょう。新しい角度の考えを投げてもらうと、自分が更新される感覚があります。今までの様に挑戦して動くのも良いけれど、それは範囲が拡張するだけで、角度(起点)は変わらない(増えない)様に思います。角度が変わらなければ範囲は拡張するけれどそれは更新ではなく退化を防いでいるも同然に思います。範囲の拡張は本当にどれだけやったかの場数ですよね。これからは質だと思います。新しい角度(起点)を増やす事。そして角度をその場その場で自在に操ること。
 
[思考が新たな転換を迎える前の混沌]
正直今書いていて心地が悪いです。タイピングは早いので書くのに時間は全然かかりませんが、本望ではなくなってきた様に思います。私にとって振り返りは二種類あります。【心地よく生きる為の振り返りと、感じたこと思ったことを言語化する為の振り返り】です。明らか後者に振り切りすぎていますよね。最初の趣旨は前者だったので一度リセットします。そしてこの混沌さは、きっと収束の前の混沌さでして、おかげで今最も注力したいものが絞れてきたので、そこに時間をあてたいと思います。今後の振り返りについては流れに身を任せてみます。イエッサ。
 
 

【まとめ】
①純度が高いまま”文字へおこす”事は不可能
②湧き出る(受け取る)感情の純度が高くなると、想いや感情をそのまま言葉にする事が難しくなる
③新しい感情や感覚が生まれなければ、古い感情や古い感覚に潰されて侵されて腐っていく
④育ててくださいと頭を下げない私の雰囲気がある
⑤考えてしまうと悩みになる、動いてしまえば希望になる
⑥根底では”繋がっている感”があり、受け入れているかのような温度がある。それを言葉で表すなら「あなたは私だ」である
⑦中庸やバランスを捨ててエネルギーをどこに使うか絞っていく
⑧新しい価値観(=角度)の交換が出来る場
⑨心地よく生きる為の振り返りと、感じたこと思ったことを言語化する為の振り返り
 
 
スピード感がないのでいろいろとやる事がたまってきている現状に嘆きやっほい。